もう、終わりにする。




やらなきゃいけないことが
山積みのときに
こんなことやってる場合じゃないんだけど


ちょっと書かせて。


例の劇団員とは完全に決裂。
もうそれでいいんだけど。
やっとスッキリしたかんじ。


なんだろ
腹立つとかってよりは(もちろん腹立ってるけど)、がっかりした。
ここまで話通じないとは思わなかった。


会って話をしていればこんな事にはならなかったんだと思います。
だから今こうやって書いているのも、どれだけ伝えられるか、些か不安でもあります。

とか言いながら
長文送ってくるとこに疑問。
そこまで言うなら
電話しませんか?とか、会って話しませんか?
とか言うべきじゃない?

「私たちのやってること、目指してるものを全否定された」と私が書いたと書かれていますが、それは違いますから。
「『演劇でやる事ではない』となれば、演劇行動の全否定になる」と書いただけですよ。
それが貴女を悲しませたなら、私の文章表現の不足という事で、お詫びします。

ていうのも、
なんて言うかさ、、、
言葉の揚げ足とってるとしか思えない
演劇行動=やってること
じゃないんですか?
しかも、
文章表現の不足、つまりわたしは間違ってるとは思わないけど、強いて言うなら言い方の問題かしらってことでしょ?


ここに関しては
わたしはこう送ったの。


〇〇さんが「私たちのやってること、目指してるものを全否定された」と悲しく思ったのと一緒で
わたしも
感想を「全否定だ」と切り捨てられたように感じて悲しかったです。


けっきょくさ
自分は最初のメールで、

やはり私としては心が痛くて未だにひきずっています。

って、主張してるわりに
わたしの「悲しかった」は
「わたしの表現の問題」という前提をつけて、「お詫びします」だってさ。
なんで素直にごめんなさいって書けないわけ?
ちょっとした表現の違いは
くどいくらい指摘してくるのに。
わたしが悲しかったと言ってるのは
「引きずってます」「全否定です」ってたたみかけられて
わたしの感想を感想として尊重してくれてないように感じて、
全否定されてるように感じたことについて言ってるの。
つまり、「やってることの全否定」でも「演劇行動の全否定」でも、それはわたしの「悲しかった」という気持ちには何ら関係ないのですよ。
だから、
あまりに的外れな答え。
ちゃんと読んでる?


「認めてほしかった」と貴女は言うけれど、いつ私が貴女を認めない事があったでしょうか。
いつ貴女を子供扱いしたでしょうか。

ってね、
わたし次のメールでも書いたけど
こういうことよ。

「あなたのこと認める」って言うことだけが、認めたことになるわけじゃない、違う言葉でもそれを伝えることができるというのは、〇〇さんもご存知のことと思います。
つまり、「あなたのこと認めない」と言うことだけが相手を否定することになるわけではないです。

それにこれは
受け取る側がどう感じるかって話だと思う。

つまり、
演劇行動の全否定となることを言われて悲しいって言われたけど
わたしは全否定するつもりなかった。
でも、ここでわたしが「そんなつもりないから!」って言い続けてもなんの解決にもならない。
わたしの言い方がよくなかったかな、とか
思ってないつもりだけど、自分では気づいてないだけでそういうものが滲み出てたかな、とか
いろんなこと考えて、
相手の感情を理解しようとすることが
歩み寄ることになるんじゃないかな?

わたしは、、、
引用しないけど、その努力をしてきたつもり。
でもさ
「いつ認めないことがあったか」とか言われたら、話はそれ以上進まないよね。
どっちか一方が歩み寄る努力しても、相手がその努力してくれなかったら、歩み寄れない。

わたしは否定されてるように感じたの!
どうしてそのわたしが感じた思いを受け止めようってしてくれないんだろうね、悲しいね



認めてると言うのなら、なぜわたしがくり返し言っている「答えを芝居の中で出されるのが好きじゃない」というわたしの思いについて、一切ふれないのですか?


というわたしの問いかけに対しても


答えを芝居の中で出されるのが好きじゃないという思いを持つ人はいますよ。
それはそういうものですから、私は疑問に思う事でもないし意見があるわけでなかったのです。
貴女も言われたとおり、演劇の好みはそれぞれだから。
だから一人一人の感想がそれぞれ大切だと書きました。
貴女に求められている事が、残念ながら私にはよくわかりません。


や、だから
一般論聞きたいわけじゃないの。
わたし個人の話をしてるのね。
それにさ
最初に「貴重なご意見ありがとうございます」とか書くのが筋だと思うの。
全否定だとかなんとか言う前に、ね。
それをしないで
あとから一般論の「一人一人の〜」とか言われても、本心なの?って思う。
意見がない=否定してない
にはなるかもしれないけど
認めてるかどうかは微妙だと思う。
スルーしてるとも言える。

一人一人の感想が大切なのは
大前提よね?
その上で
わたしがこういう芝居は好きじゃないって言ってることを、
それ自体に言及して話さなかったら
それは認めてるとか言えないと思う。
受け止めてくれてるとは、思えない。
わたしはそうは思えないよ。
そう言うと、また「わたしは否定してません」って言うのかな?
わたしは人の心を読むことはできません。ちゃんと言葉にしてくれなきゃ、わからないよ。


役者の仕事は
演じること、芝居を創ることだけじゃなくて
創ったものに対する感想を受け止めるところまでだと思う。

最近、違う芝居について感想書いたら
「観ていただき、感想まで書いてくださりありがとうございます」って言われた。

わたしは芝居やったことないから
あくまで想像だけど
観に来てもらえることもありがたいけど
さらに感想まで書いてもらえるなんてすごくうれしいことなんじゃないかな?
たしかに批判に対して「うれしい」とは言えないけど、批判も含めて、感想もらえることはありがたいって思って受け止められなかったら
それは都合のいい意見しか聞かないことになるんじゃないかなあ?


今回やりとりをする中で
この「感想をありがとう」って気持ちが
1ミリも感じられなかった。
だから
否定されてる気がした。

や、もちろん
感謝しろありがたく思えって言いたいわけじゃないよ
でもなんか
わたしたちのやってることがなぜ理解できないの?!正しいことやってるんですけど!感が伝わってきて嫌なの。

もし感想を
もらって当たり前のものだと思ってなければ
ありがとうって言葉が自然と出るとおもう
批判も含めて受け止めようって思ってれば
対応は違ってくると思う。


何も伝わらなくて悲しい。



でももう、これ以上伝えようとがんばるつもりはないから
担当劇団員、変えました。
この話はもう終わりにする。


今年いっぱいは、観に行きます

来年は、、
今のところは会員更新する予定はありません。